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当院は、昭和38年6月神戸市須磨区にある板宿で初代院長の父・一平が梶川眼科医院を開業致しました。
平成5年5月から私が院長を継承し、親子二代の長きにわたり患者様から信頼される“眼科かかりつけ医”として地域医療に貢献すべく努力してまいりました。
当院では、眼科専門医に認定されている院長が、眼科一般診療に十分対応できるように検査機器などを整え、「来院して良かった」「また来院したい」と患者様に思って頂けるように心のこもった医療が提供できる眼科医院を目指しています。
ハード面だけではなく、患者様との信頼関係を構築し、安心感を与えるために
(1)常に患者様の立場に立って考え、行動する。
(2)しっかりアイコンタクトを取る。
(3)患者様のお話しされることをじっくり聞く。
(4)ゆっくり解り易い言葉で説明をする。
などを心掛けております。
眼科診療は、検査機器を駆使して診断や治療方針を立てることが多いので、”どこがどのように悪くてその症状が出ているのか”“治療によって良くなっているのか”などを理解して頂くために出来るだけ画像をお見せしながら説明しています。
当院で対応出来ない重篤な病気をお持ちの患者様、セカンドオピニオンを希望される患者様、手術希望の患者様におかれましては、近隣の病院・医院と連携を密に図っておりますのでご安心ください。 寝たきりの患者様などに対しても積極的に往診を行っております。
これからも「親切」「丁寧」「笑顔」をモットーに“チーム梶川”一丸となって頑張ってまいりますので、宜しくお願い申し上げます。
- ■学歴および職歴
- 昭和59年3月 川崎医科大学卒業
- 昭和59年6月 兵庫医科大学・眼科学教室入局
- 昭和60年4月 甲南病院・眼科採用
- 昭和61年4月 兵庫医科大学・大学院入学
- 平成 2年3月 兵庫医科大学・大学院博士課程修了
- 平成 2年4月 兵庫医科大学・眼科学教室助手採用
- 平成 3年5月 梶川眼科医院勤務(B会員)
- 平成 5年5月 先代院長逝去に伴い梶川眼科医院院長を継承し、現在に至る。
- ■所属部会
- 日本眼科学会
- ■称号および資格
- 医学博士、日本眼科学会認定医
- 生年月日:昭和34年6月
- 血液型 :A型
- 性 格 :基本的には真面目(時に壊れる)
頑固(家内やスタッフは相当苦労しているかも?!)
天然(周囲からはそう思われているらしい) - 趣 味 :サンゴ・海水魚飼育、スキューバダイビング、テニス、旅行、
野球観戦(暇を見つけて甲子園球場にも出没。勿論”虎党”。)
梶川眼科医院は、昭和38年6月に初代院長・梶川一平が微力ながらも地域医療に貢献するために板宿でその産声をあげたのです。 その時、私はまだ何も解らない幼稚園児。
昭和58年、神戸市都市計画のため診療所兼住居は、取り壊されることとなりました。長年住み慣れた愛着のある建物が、壊されていく様は相当辛かったと両親から聞いております。このため、数年間の仮設診療所での診察を強いられました。都市計画後、幼年時代に私が走り回った昔の面影はなくなり、下町の色濃かった板宿も近代的な商店街へと変貌を遂げていったのです。
- 平成3年5月:初代院長の体調不良により、大介B会員勤務。
- 平成4年7月:コンピューターには全く無縁であった当院にセレプトコンピューター導入。
- 平成7年9月:医薬分業のため院外処方箋発行へ変更。
- 平成4月?月:主に白内障日帰り手術を行うために手術場の開設。
- 平成5年5月1日:初代院長・一平、死去。
- 平成5年5月2日:大介、梶川眼科医院を継承し2代目院長就任。
- 平成7年1月17日:あの悪夢の阪神大震災。。。
当院では、人的被害はなかったものの全焼・半壊認定を受けられたスタッフもおられました。交通手段がなく、やむを得ず退職となったスタッフも。幸い建物の被害はまだ軽微だったので、震災3日目から投薬のみ開始。当時、待合室をボランティアの方の寝泊まりに使って頂いたり、自衛隊からの救援物資置き場になっていたり。板宿小学校でのボランティア活動に参加するも自分の非力さを痛感。。。
- 平成16年 1月:患者管理システムの導入。
- 平成16年11月より週3日(火・金・土曜日)の予約診開始。
- 平成●年●月:医院の都合により手術場を閉鎖。
- 平成17年4月:薬事法改正によりコンタクトブースを開設。
- 平成22年11月:待ち時間対策として「お知らせメール」「診療順番WEB」のサービス開始。














